一年前、moonが旅立ちました。
その一週間程前から急に食が細くなり、
保護したばかりのひなたを連れて行った病院で相談したところ、
「ひなたが来た事によるストレスだろう」と言われました。
ひなたが来て2週間、今頃ストレスが出るのか?との質問に
「猫とはそういうものだ」と一蹴され、馬鹿な飼い主は納得したのです。
その時に迷わず他の病院に連れて行けばよかった。
私はゲージに入るのに毎回、目一杯抵抗するmoonが不憫で
家で様子見する方法を選んだのです。
その夜くらいから、moonは窓際に座っては一日中外を見て鳴くようになりました。
子猫の頃から本当に鳴かない子で
たまに、何かのはずみで鳴いたりしたら
「久しぶりにmoonの声を聴いたね」
と、家族で喜んでいたような子なのに。
翌日、外に出たいのかな?ストレス解消になれば、と
夜に外を散歩させてみました。
たまにする夜の散歩より少し長く歩き回り、
冷えるといけないからと、連れて帰りましたが
鳴き声やむ様子はありませんでした。
その翌日からは動くのも辛そうになり、
やはりこれはおかしいと、病院に連れて行きました。
一通りの診察と血液検査を終えた医者の第一声は
「もう年齢が年齢やからね」
でした。
「取り敢えず栄養剤点滴しとくから明日検査結果聞きに来て」
と言われ連れて帰ってきました。
その夜、ふらつきながらもいつものようにベッドに登って来たMOONを
なす術もなく一晩中見つめ続けていましが、
それでもまだ、MOONが居なくなるなんてこと想像だに出来ずにいたのです。
翌日、まだ眠っているMOONに
「仕事に行ってくるね。帰って来たら又、病院行こうね」
声を掛けながら、彼女の身体を撫でると
MOONは私の手の上に自分の手をそっと重ねて来ました。
その日の夕方、病院で「糖尿病を発症している」と言われ愕然としました。
「本当は入院させて投薬して様子を見るんだけど、今日は(自分の)調子が
悪いので預かれない。他の病院を探して欲しい。でも、多分もうダメだと思う」
そう言われ病院を出るしかありませんでした。
病院を出たのは19時30分過ぎ、取り敢えず家に帰り、
ネットや電話で救急夜間診療をしてくれる病院を
探しまくり、車で1時間程掛かる病院を見つけました。
辿り着いた病院は急患でごった返していました。
どんなに受付で掛け合っても、ただ順番待ちしているしかありませんでした。
ゲージの中でグッタリ横たわるMOONに声を掛けながら
ひたすら、順番が来るのを待っていました。
そして、ゲージの隙間から入れた私の指に
自分の手を持ってきたMOONの手がコトンと落ちました。
それがMOONの最後でした。
受付で息が止まったと泣き叫び、
診察室に運び入れられたものの
二度と目を開けることはありませんでした。
あれから1年経って、こうやって文章にしていても
まだ、MOONが居ない事実がよく解っていない感じがします。
ペットを亡くした人はよく「ありがとう」と仰いますが、
私はまだ、「ごめんね」としか言えません。
私の判断ミスが彼女の命を縮めました。
私がもっとしっかりしていれば、
私がもっと賢い飼い主なら
彼女はまだ生きていられた。
私は彼女を守れなかった。
彼女に会いたい。
会って謝りたい。
許しては貰えないだろうけど
それでも謝りたい。
あの朝、彼女はどんな気持ちで
私の手に自分の手を重ねてきたのだろう。
しんどかっただろう。
苦しかっただろう。
「助けてくれ」と言っていたのだろうか。
それとも「もう、楽にしてくれ」と、伝えたかったのだろうか。
何れにせよ、私は彼女を守れなかった。
先週末、MOONのお墓参りに行ってきました。
MOONは市内の人間用の墓地に併設されている
動物霊園で眠っています。
人見知りはもちろん、猫見知りもする子だったので
最初は共同墓地に入れることがどうしても出来ず、
年末まで、お骨は私の枕元に置いていました。
それでも、いつまでもそれでは土に還れないので
昨年末納骨しました。
その併設されている墓地には、人間用の共同墓地があります。
ちょうど動物碑に近い場所に建っています。
私もそこに眠ろうと考えています。
元々、母方の墓には入れませんし
子供も居ないので、無縁仏になるだけの身です。
生きている間は、今居る猫達を守り、
その後は彼女の側で眠れればと思っています。
その一週間程前から急に食が細くなり、
保護したばかりのひなたを連れて行った病院で相談したところ、
「ひなたが来た事によるストレスだろう」と言われました。
ひなたが来て2週間、今頃ストレスが出るのか?との質問に
「猫とはそういうものだ」と一蹴され、馬鹿な飼い主は納得したのです。
その時に迷わず他の病院に連れて行けばよかった。
私はゲージに入るのに毎回、目一杯抵抗するmoonが不憫で
家で様子見する方法を選んだのです。
その夜くらいから、moonは窓際に座っては一日中外を見て鳴くようになりました。
子猫の頃から本当に鳴かない子で
たまに、何かのはずみで鳴いたりしたら
「久しぶりにmoonの声を聴いたね」
と、家族で喜んでいたような子なのに。
翌日、外に出たいのかな?ストレス解消になれば、と
夜に外を散歩させてみました。
たまにする夜の散歩より少し長く歩き回り、
冷えるといけないからと、連れて帰りましたが
鳴き声やむ様子はありませんでした。
その翌日からは動くのも辛そうになり、
やはりこれはおかしいと、病院に連れて行きました。
一通りの診察と血液検査を終えた医者の第一声は
「もう年齢が年齢やからね」
でした。
「取り敢えず栄養剤点滴しとくから明日検査結果聞きに来て」
と言われ連れて帰ってきました。
その夜、ふらつきながらもいつものようにベッドに登って来たMOONを
なす術もなく一晩中見つめ続けていましが、
それでもまだ、MOONが居なくなるなんてこと想像だに出来ずにいたのです。
翌日、まだ眠っているMOONに
「仕事に行ってくるね。帰って来たら又、病院行こうね」
声を掛けながら、彼女の身体を撫でると
MOONは私の手の上に自分の手をそっと重ねて来ました。
その日の夕方、病院で「糖尿病を発症している」と言われ愕然としました。
「本当は入院させて投薬して様子を見るんだけど、今日は(自分の)調子が
悪いので預かれない。他の病院を探して欲しい。でも、多分もうダメだと思う」
そう言われ病院を出るしかありませんでした。
病院を出たのは19時30分過ぎ、取り敢えず家に帰り、
ネットや電話で救急夜間診療をしてくれる病院を
探しまくり、車で1時間程掛かる病院を見つけました。
辿り着いた病院は急患でごった返していました。
どんなに受付で掛け合っても、ただ順番待ちしているしかありませんでした。
ゲージの中でグッタリ横たわるMOONに声を掛けながら
ひたすら、順番が来るのを待っていました。
そして、ゲージの隙間から入れた私の指に
自分の手を持ってきたMOONの手がコトンと落ちました。
それがMOONの最後でした。
受付で息が止まったと泣き叫び、
診察室に運び入れられたものの
二度と目を開けることはありませんでした。
あれから1年経って、こうやって文章にしていても
まだ、MOONが居ない事実がよく解っていない感じがします。
ペットを亡くした人はよく「ありがとう」と仰いますが、
私はまだ、「ごめんね」としか言えません。
私の判断ミスが彼女の命を縮めました。
私がもっとしっかりしていれば、
私がもっと賢い飼い主なら
彼女はまだ生きていられた。
私は彼女を守れなかった。
彼女に会いたい。
会って謝りたい。
許しては貰えないだろうけど
それでも謝りたい。
あの朝、彼女はどんな気持ちで
私の手に自分の手を重ねてきたのだろう。
しんどかっただろう。
苦しかっただろう。
「助けてくれ」と言っていたのだろうか。
それとも「もう、楽にしてくれ」と、伝えたかったのだろうか。
何れにせよ、私は彼女を守れなかった。
先週末、MOONのお墓参りに行ってきました。
MOONは市内の人間用の墓地に併設されている
動物霊園で眠っています。
人見知りはもちろん、猫見知りもする子だったので
最初は共同墓地に入れることがどうしても出来ず、
年末まで、お骨は私の枕元に置いていました。
それでも、いつまでもそれでは土に還れないので
昨年末納骨しました。
その併設されている墓地には、人間用の共同墓地があります。
ちょうど動物碑に近い場所に建っています。
私もそこに眠ろうと考えています。
元々、母方の墓には入れませんし
子供も居ないので、無縁仏になるだけの身です。
生きている間は、今居る猫達を守り、
その後は彼女の側で眠れればと思っています。
「秦基博とカピパラさんて似てるよねっ」って
友達に言ったら、口きいてくれなくなった。
巨人の阿部捕手の右目と左目の間を
握りこぶしで計測したい。
風呂上りにケシミンクリームやら美容液やらで
頬のシミのケアをしていたら
「知ってた?キッチンハイターが一番効くねんで!」
と、母に力説された。
そんな母が天パだったと生まれて初めて知った。
(ずっと剛直毛だと思ってた…)
夜寝てたら、ひなたに耳たぶくわえて持っていかれかけた
次に目覚めたのは寒くて布団に入ってきたひなたが
勢い余って、パジャマの中に入って来てた時。
その次目覚めたのは、力づくでひなたが寝返りを打った為
首が詰まって死にそうになったから。
未遂した人みたいに、首に絞しめられた跡がある…
タートルネックの季節で良かった
友達に言ったら、口きいてくれなくなった。
巨人の阿部捕手の右目と左目の間を
握りこぶしで計測したい。
風呂上りにケシミンクリームやら美容液やらで
頬のシミのケアをしていたら
「知ってた?キッチンハイターが一番効くねんで!」
と、母に力説された。
そんな母が天パだったと生まれて初めて知った。
(ずっと剛直毛だと思ってた…)
夜寝てたら、ひなたに耳たぶくわえて持っていかれかけた
次に目覚めたのは寒くて布団に入ってきたひなたが
勢い余って、パジャマの中に入って来てた時。
その次目覚めたのは、力づくでひなたが寝返りを打った為
首が詰まって死にそうになったから。
未遂した人みたいに、首に絞しめられた跡がある…
タートルネックの季節で良かった
~続いてみた
目がやっと開きだした頃のひなた→
いきなり子猫を連れて帰った事に
母は文句言いつつも満更でもない様子。
そして幸いMOON達は、最初こそ遠巻きに威嚇したりしてたけど
自分に危害を加えないことが分かると
構いはしないけど、邪険にもしない
着かず離れずな距離を保つようになった。
子猫育てるなんて15年振り位。
しかも、生後1~2日で保護されて、お母さんのおっぱいを
飲んだかどうかも分からない状態の子猫。
当時のMOONよりまだ小さい子。
自分で蒔いた種とは言え、否応なしで「育猫」状態に突入です。
4時間毎のミルクとトイレトレーニング。
(生まれたてな子猫は排便が上手く出来ないので
刺激してあげないといけない。)
睡眠不足にヘラヘラ笑いながらも
名前を考えたり、その仕種に笑ったり
バタバタと過ごしていた。
子猫は生後3週間くらいまで、爪を引っ込める機能が備わっていない。
お母さんのおっぱいを飲む時、乳腺を刺激して
母乳の分泌を促がす必要があるので、
爪は大切な生命維持の役割を果たすのです。
ひなたも、ミルクを飲ませている間や離乳食中
その小さな手をずっと“結んでひらいて”のように
ギュッっと握ったり開いたりしてた。
それでも吸い付く感触が恋しくて
私の指を吸ったり、寝ぼけながら自分の肉球を
チュッチュと吸ったりしてた。
そして、幸いなことに怖い思いを
まったくしていないらしく、
物怖じも人見知りも、猫見知りも全然ない子になった。
それどころか1年が過ぎた今でも
「毛繕いは人の膝の上でするもの」
「眠くなったら抱っこしてもらうもの」
が当たり前になっているし、
未だかつて一度も、母も私もこの子の威嚇吼えを
聞いたことがありません。
普通、避妊手術を終えた子は警戒心が出るものですが
ほんとーに全く無い。
お陰様で元気に育っています。
ただ、譲り受ける際に「元気な女の子」を希望しましたが、
「やんちゃな女の子」と言った覚えは御座いません。
キッチンスリッパ両足共、三枚下ろしにされました。
カーテンの共布のタッセルが原型を留めていない程
ボロボロにされました。
タンスの上に居た全長1mのたれぱんだが、
仕事から帰ると別の部屋に居ました。
病院の先生から「きかんぼう」と太鼓判押されました。
(おんなのこなのに…)
お風呂に入っていると、ミャーミャー泣きながら
お風呂場のドアを叩いたり
本棚の本、全部落として寝場所を作ったり
本当にお陰様で元気です。
目がやっと開きだした頃のひなた→
いきなり子猫を連れて帰った事に
母は文句言いつつも満更でもない様子。
そして幸いMOON達は、最初こそ遠巻きに威嚇したりしてたけど
自分に危害を加えないことが分かると
構いはしないけど、邪険にもしない
着かず離れずな距離を保つようになった。
子猫育てるなんて15年振り位。
しかも、生後1~2日で保護されて、お母さんのおっぱいを
飲んだかどうかも分からない状態の子猫。
当時のMOONよりまだ小さい子。
自分で蒔いた種とは言え、否応なしで「育猫」状態に突入です。
4時間毎のミルクとトイレトレーニング。
(生まれたてな子猫は排便が上手く出来ないので
刺激してあげないといけない。)
睡眠不足にヘラヘラ笑いながらも
名前を考えたり、その仕種に笑ったり
バタバタと過ごしていた。
子猫は生後3週間くらいまで、爪を引っ込める機能が備わっていない。
お母さんのおっぱいを飲む時、乳腺を刺激して
母乳の分泌を促がす必要があるので、
爪は大切な生命維持の役割を果たすのです。
ひなたも、ミルクを飲ませている間や離乳食中
その小さな手をずっと“結んでひらいて”のように
ギュッっと握ったり開いたりしてた。
それでも吸い付く感触が恋しくて
私の指を吸ったり、寝ぼけながら自分の肉球を
チュッチュと吸ったりしてた。
そして、幸いなことに怖い思いを
まったくしていないらしく、
物怖じも人見知りも、猫見知りも全然ない子になった。
それどころか1年が過ぎた今でも
「毛繕いは人の膝の上でするもの」
「眠くなったら抱っこしてもらうもの」
が当たり前になっているし、
未だかつて一度も、母も私もこの子の威嚇吼えを
聞いたことがありません。
普通、避妊手術を終えた子は警戒心が出るものですが
ほんとーに全く無い。
お陰様で元気に育っています。
ただ、譲り受ける際に「元気な女の子」を希望しましたが、
「やんちゃな女の子」と言った覚えは御座いません。
キッチンスリッパ両足共、三枚下ろしにされました。
カーテンの共布のタッセルが原型を留めていない程
ボロボロにされました。
タンスの上に居た全長1mのたれぱんだが、
仕事から帰ると別の部屋に居ました。
病院の先生から「きかんぼう」と太鼓判押されました。
(おんなのこなのに…)
お風呂に入っていると、ミャーミャー泣きながら
お風呂場のドアを叩いたり
本棚の本、全部落として寝場所を作ったり
本当にお陰様で元気です。
人はイロイロ 猫もイロイロ 蛸はイボイボ
2008年10月15日 にゃんズ室内飼いの猫って、
「いってらっしゃい」や「おかえりなさい」は
習性的なもんだと思ってた。
初代のMOONも二代目のあいも毎日普通にやってたし
他所ん家の猫もそうだし。
なのに、うちのひなたさん
「ぁん?いってらっしゃいだぁ?眠たいっちゅう~ねん!」
と、構ってくれません。
特に母がまだ寝ている時は
なんの疑いもなく、寝てます。
しかも、母の側で寝てるんならまだしも
今朝なんて、洗濯物入れる籠の中…(写真参照)
カメラ向けてもチロッっと見ただけで
シカトされました。
玄関で「いってきますっ!!」と大声で言っても
反応なし。
個性ってヤツなんでしょか?
ゆとり教育の弊害でしょか?(をい!)
去年の10月中旬、いつものペットショップで
猫砂やカリカリを買っていたら
オーナーに呼び止められた。
「子猫保護してるんやけど、一匹だけでもお願い出来へん?」
聞けば、臍の緒が付いたままの子猫が四匹
胎盤ごとバスタオルに包まれて公園の隅に
捨てられていたらしい。
過去にも何度かそういう話はあったけど、
全部断ってきた。見もしなかった。
うちにはMOONもあいも居る。
特にMOONは人見知りも猫見知りも激しい。
子猫なんて見たの14年前のあい以来だし。
あいの時も部屋の隅っこから出てこず
やっと餌を食べ始めるまでに5日かかった。
なのに、なんでだろ?
1年前のあの日、なぜか私は「見せて」と言った。
「見たら最後、欲しくなる」って解ってたのに
見てみる気になった。
丁度、誕生日を過ぎた頃で
「(自分への)誕生日プレゼントだ」と
妙に自分で納得したりして。
MOONも随分落着いてきたし、あいも居る。
あの頃と違って二階建て住宅だから
いざとなれば部屋を完全分離すればいい。
フラフラと誘われるままに入った倉庫の隅、
ダンボールの中で目も開いていない子猫が四匹
体をくっつけて眠っていた。
オーナーは必死になって説得してくる
「取り合えず、お試しで2~3日連れてかえったら?
先住猫がどうしてもアカンようなら又連れてきて
くれたらいいから」
「一番元気な女の子。取り合えず、お試しで」
10分後には、子猫と子猫用のミルク等を入れた
ダンボールを助手席に乗せていた。
~続く